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MMOは、なぜ衰退したのか

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僕はMMOが好きです。

 

今、日本のMMOは衰退を終え、活気を失ったまま停滞しています。

FF14が好きなMMOコアプレイヤーと、行き場を失ったDQファン、そしてMMO最隆盛期に流行ったタイトルのうち僅かに生き残ったタイトルの人たちしか遊んでいません。

 

それでは、かつて熱狂的だったMMOプレイヤーたちが全員FF14を遊んでいるのでしょうか。

 

あくまで自分の見える範囲の話ではありますが、答えはそうではないと実感しています。 

 

 

MMOは何が“変わった”のか

結論を機械的に言うと、MMOは人に何らかの価値を提供するための機能を相対的に果たせなくなった、ということです。

 

プレイヤーがMMOに期待していたものは何だったのでしょうか。

協力してボスモンスターを倒す達成感でしょうか。それとも、チャットでの交流でしょうか。はたまた、ゲーム的な何者かになりきるロールプレイ…?

これらは全て、プレイヤーが自ら後付けで用意した一側面的な理由に過ぎないと考えています。

 

みんなが求めていたものの根本は、実は「人がそこにいる」と感じさせてくれる疑似体験だったのではないか、と思っています。

チャットやロールプレイはもちろんながら、「人がいるからボスを倒せる」のではなく、「ボスを一緒に倒した人がいる」ということに喜びを感じていると考えると、一気に明快になります。PK(Player Kill)についても同様の考え方で説明することが可能です。

 

現実世界で協力して作業を行ったり、もしくは継続的な会話に至るまでのコミュニケーションコストというのはインターネットと比べて非常に高いものです。個人サイトや2ちゃんねるの功績は、このコストが大きく下げられたことだと思います。

それと同様にして、このコミュニケーションコストの引き下げをゲーム性によって行ったのがMMOだというわけです。極端な言い方をすれば、アバターコミュニケーションツールに継続するための要素とその多様性を付加したものであるとも言えるでしょう。

(※あくまで行動の解釈なので、もちろんゲーム開発史的には当然ながら説明が違うものとなります)

 

個人の意識ではなくゲームの側面から言うならば、プレイヤーがコミュニケーションに満足して初めて成立するゲームシステムだったということです。コミュニケーションが不十分であったならば、モンスターを倒して得られる報酬で強くなりたいなどというプレイ動機はそもそも生まれないわけです。

 

MMOは何に“負けた”のか

僕はMMOのシステムが劣化したとは思いません。様々な工夫が年々追加され、グラフィックも機能も高度になり、最近の作品は昔の作品に比べれば格段に快適に遊ぶことが出来ます。

 

では、なぜMMOは衰退してしまったのでしょうか。

それは、MMOよりもコミュニケーションが容易なツールが出てしまったからです。それは何かというと、SNSです。

しかし、mixiOpenPNEのような、ある時期には「SNSサイト」と呼ばれていたシステムは、MMOの利用方法と競合するものではありませんでした。

それは、MMOにおける満足なコミュニケーションにはリアルタイム性が必要だったためです。「人がそこにいる感覚を実現するためには、同時に「今、そこにいるという感覚が必要だったのです。

一方で当時のSNSサイトは、当時流行った個人ブログサービスの拡張として、大衆に望まれる形でコミュニティやフレンド(=公開範囲)を適切に設定できるよう進化したものだといえるでしょう。

 

その後、パブリックなSNSにリアルタイム性が付与されたという点で、Twitterが注目され、広まりました。これはまさに、MMOが提供していた「今、そこにいる」という感覚をより強烈にするものだったという見方が出来ます。

MMOはノンバーバルな要素を多分に含むことで、曖昧ではあるものの短時間でのコミュニケーションを成立させていました。一方で、あくまでゲームシステムによって提示された目標を意識している以上、無意識的に行われることの多いコミュニケーションは曖昧なもののまま終わることが多い存在でした。

Twitterは、他人に向かって語らなくても一種のコミュニケーションが成立するというMMOやブログの利点を、チャットのように簡単な文章量で実現しました。

これがなぜMMOと競合することになるのかというと、MMOにとってゲームシステムは制約であったためです。MMOはコミュニケーションを潜在的に根本の価値としながらも、ゲームシステムと関係のない情報は極端に受信しづらいという欠点があります。システムによってコミュニケーションを創り出すと同時に、その限界を決定するものでもありました。

Twitterやブログサービスは、自分自身のことについて言語あるいは社会が許す限り発信可能なため、純粋な発信装置、あるいは受信装置としての性能が格段に優秀だったのです。

 

MMOは、何を求めるべきか

今のMMOにとって足りないモノは、エンドコンテンツでも、イベントでもありません。システムそのものに相対的価値が無くなってしまった以上は、システムを変えるしか生き残る道はありません。

個人的には、VRに期待をしています。「今、そこにいる」という視覚的に強烈な感覚は、再び言語コミュニケーションのそれを追い越すかもしれません。他では出来ない体験を再び提供してくれるゲームとしてのMMOを、僕はもう一度見てみたいです。